遺書のような、雑文のような。

これが私の生きた証。閲覧等々は自己責任で。

責任転嫁の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 21日目の記事です。 

 

さて、前回からの続きのていなんですがね、どうしようかね

たぶん続き、、、?って感じの内容になりそうなんですよね

 

無限列車の下弦の壱の鬼が本当に好きなんですよね

しゃべり方もビジュアルもどんぴしゃ

誰だって幸せな夢を見てきっと死にたいよ

(上弦の参が出てくるシーン、イナズマイレブン感ないですか、、?

円「エイリアっ、、、学園っ、、、!?」)

夢は都合の良いように書き換えられるからね、というわけで本題です

 

別にダークなことを書きたいわけじゃないです

誰かの夢を背負って生きていくのはとてもしんどいし

夢が叶わなかったときは本人の努力不足

夢が叶ったときは周りの人の言ったとおりになった

言霊だなんだとか、世の中良くわからん現象に名前をつけすぎなんですよ

 

どうして勝手に他人の夢を転換されて

それがあたかも自分の夢だったみたいな

自分が若いときに出来なかったこととか

やろうとして持っているものの違いで出来なかったこととか

勝手に期待して、押しつけるのは別にかまわない

だからといってそれを本人に言わないで欲しい

自身の中で勝手に投影して、達成を願っていて欲しい

それは私の夢でもなく、その人の願いであって

ただその人の夢が成就したわけではないのだから

 

なんだかこう書いているとうまく伝えられないのですが

「絶対」ということばがこの理論で嫌いになりました

「自分の言ったことは絶対なんだからその指示に従えばいいだろう」

生まれてから、意識のある限り、成長のカテゴリーごとに言われてきた気がします

 

でもねぇ、言っている側と行動をしている側は違うんだ

誰かのマリオネットじゃない、動いているのは自分なんだから

言うとおりに動いてくれない人形はいやでしょう、

でもそれは操り手の腕の問題かもしれないし

人形にも意思があって、貴方の思っているような人形じゃなかったのかもよ

 

何が書きたかったんだ、こりゃ笑

 

BGM/

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