遺書のような、雑文のような。

これが私の生きた証。閲覧等々は自己責任で。

家族の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 20日目の記事です。 

 

この記事については、当初何を書こうと思って設定したのかはわからないですが

遺書のようなものとして書くためには必要だなぁと思って項目にしました

あと、これと明日の責任転嫁の話はセットです

(明日と言いつつ、21日にこの記事は書いてます、ごめんなさい)

 

先に書くと、私は家族のことが好きです

好きだからこそ、いやだった部分も自分の中で受け止められるようになったんだと思います

ここには記録として、その当時私が思ったことを書きます

なのでこれは読ませるための記事ではないです

備忘録、のようなものです

 

パパ

資金面・決定権の上で家族の大黒柱

口癖は「俺より働いてからものを言え」「俺の言ったとおりになっただろう」

費用対効果を意識しがち

なんだかんだ家に味方がいないと思っている

 

ママ

教育熱心、時間やお金をかければその分リターンが来ると思っている

自分自身に自信がないが故に他人の出来ないことが不思議でたまらない

思ったことは口にしやすい

 

自分にコンプレックスを持っているが故に周りを気にしがち

好きとか嫌いに関係なく気持ちが乗らないことはしない

こだわりが強いが気にしないことはとことん気にしない

自己防衛しがち

 

とまぁ、大まかにはこんな感じです

ただの悪口じゃねぇか、ってそうです

いくつか前の記事にも書いたように、このうちの3分の2が確実に鬱病を患っています

必ずしも家庭内のことだけがそのきっかけになったわけではないと思うのですが

端的に言って私が家にいたころから少し家庭内の雰囲気はおかしかったです

それが病気が発症してちゃんと気付いたんじゃないかと

 

ここに書いたいくつかの性格は今は感じないものもあります

そうした環境で育った私としては

なんとなく寂しく、なにか穴が開いたような気もするのですが

そんなことばかり言っていてはより病気が悪化するだけなので

今は家族の健康を願うばかりです

 

あの当時の教えのもとに私は生きているし

あの教えからは完全には逃れられないし、なかった事にも出来ない

あの教えとともに私は成長してきたのだから

親にはどうか当時の指導方針を否定しないで欲しい

私が迷子になってしまうから

私の生き方が不器用で見ていられなくっても

作り出した責任、最期まで見届けて欲しい

 

私は自分の子どもにそうした教えで育てていこうとは思わないけれど

二人の子どもで、妹の姉で良かったと思うよ

 

p.s

私のこの感情は高校3年生の時に発生したものの様な気がします

空が水色になる朝5時、国語の問題集を解いていた時間のような

 

BGM/

コッペリアの棺/ALI PROJECT

RISE/Origa

RTRT/Mili

エンヴィキャットウォーク/トーマ