遺書のような、雑文のような。

これが私の生きた証。閲覧等々は自己責任で。

奨学金の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 1日目の記事です。

 

どうも、はじまりました、毎日おまる 無限おまる編。

バイトが終わって執筆しています、眠いねぇ

 

人気の映画にあやかって、こんなふざけたサブタイトルつけたんですけど、映画良かった、、、むしろこれまで雑なパロディしてきてごめん、、、普通に泣いた、、、話わからんくて、黒髪の男の人全部冨岡さんかと思った(お父さんらしい)、、、家族大事にしようね。

 

というわけで、早速本題です。

私は奨学金を4年間マックスの12万を学生支援機構から借りていました。

実は奨学金を借りた当初は、自分で学費を払う気はさらさら無かったです

だから、自分のために奨学金を借りたというよりは、

「親がいつか払えなくなる可能性もあるから借りておいた方が良い」という理由で

高校生のときに申請をした記憶があります

(学費が払われないと在籍できないので、最終的には自分のためなのかもしれない)

親から満額借りておいた方が良い、返済は親がする、使わない分を貯めておけば返すときは楽だろうという理由で4年間で576万を借りたのでした。

 

ところが、突然おまるが「学費は自分で払う」と言いだしたのです。

その理由は、妹が自分と同じ私立の高校に通っている、親はお金の理由で十分に大学に行けていない、そして、親の支配から逃れたかった。というのが1番の理由でした。

 

私は中高私立で、一般的な人間だったので、親は良い学校でちゃんと成績をとれるようにいろいろな教材や塾を与えてくれました。

さらには、私が幼いころもたくさんの本を買ったり、科学教材を買ったり、ベネッセをさせたり、習い事をさせたり、親が出来る最大のことを私に与えてくれました。

携帯電話も小学生のころから使用していました。

ここからは、親ではなく私の問題だったのですが、私は自分に甘くなかなか親の期待に応えることが出来ませんでした。

習い事では、自分より後にはじめた子の方が表彰されたり、赤ペン先生はため込んでしまったり、親の目を盗んで勉強時間をインターネットサーフィンでとかしたり等々、当時の私の未熟さにはこのように素直に書こうと思っていても、ためらわれる部分ばかりでした。

そうしたとき、親はさらに手をかけ、「私達では教えられないから」と塾を増やしてみたりと私にお金と時間によって尽くしてくれたのでした。

でも、親が手を尽くしてくれればくれるほど、そうした親の求める自分とのギャップに耐えられなくなり、放棄して、別のもっと楽で楽しい方へと進んでしまったのです。

親としては、手を尽くしているのにどうして結果が得られないのか、と困惑したはずですし、実際に困惑していたと思います。

家に帰ると携帯を預け、今日の1日のスケジュールを書く。家族が寝るまでリビングで勉強をする。学校に持って行った鞄を親に見せる。

こうやって、徹底的に監視して、いらないものを排除して、管理していくことで少しでも私が良くなると思っていたのでしょう。

でも私も、片田舎から私立のちょっとぴかぴかした学校です。生活する場所も食べる場所も接する友達も全部違います。新しい環境の豪華さに心が浮かれる私と、そうした環境から隔離させようとする親とで溝ができ、テストの度に親とケンカしては横暴な態度を取っていました。

 

私が、学費を自分で払うといったのはお金の大切さに気付いたからではありません。

親との口論の度に言われる、「金食い虫」「時間泥棒」「カネを返せ」「成績を出せないなら働いて同じ時間稼げ」これらのフレーズに耐えられなかったからです。

 

運良くか、運悪くか、私達が高校3年生の時、私の高校の大半の生徒はセンター試験に失敗したそうです。

成績のことで私を馬鹿にした上位クラスの大半は、志望校を変更せざるを得ませんでした。

別に他人がセンター試験に失敗しようが、高校の進学率が低くなろうが私にとっては関係の無いことでした。

でも、担任から言われた

「今年、国立の大学に行ける生徒はただでさえ少ないんだ。だから、おまえには確実に受かるところに進んで欲しい」

その言葉が私を狂わせたのかもしれません。

大学受験は、第1志望は落ち、第2志望の卒業した学類に合格しました。

(これについては大学受験の話で詳しく書きます)

そのとき、

「あ、勝ったんだ、私は自分の意思で大学を決めたんだ」

と感じました。(この勝ったという感覚から性格がゆがんでいる感満載ですね)

 

それと同時に

「大学は自分の好きなことをする、親の監視を受けない、親が私を作った。と思わせたくない」

と思い、まっ先に親の支援の象徴である学費を親から奪いました。

最愛の祖父からもらった合格祝いの50万で入学金と宿舎代を払いました。

おじいちゃんには感謝してもしきれないです。

 

当時の私は、お金を稼ぐ大変さがわかっていませんでした。

自分でバイトするようになって初めて、1万円を手にするためにこんなに大変なんだと、たかが1円も1分も無駄にすることが惜しいと感じる時があることを知りました。

 

だから、途中で親に12万借りるのはやめて8万にしよう、と譲歩したこともありました

でも親は自分たちが返すからマックスで借りていなさい、の一点張りでした

 

そのおかげで4年間たくさんのことを学ばせてもらい、いろんな場所に行き、志望動機であった部活を引退まで続けることが出来たのだと思います。

 

結局、奨学金も自分の口座から引き落としています。

親も「奨学金を返さないと行けないんだから、あんまり飲み歩きすぎないでね」と言います

話が違うなあとか、うるさいなぁとは昔よりは思わなくなりました

大学で過した4年間があまりにも楽しくて、576万という金額以上の価値でした

そして、親を思うと自分でちゃんと自分の事をしないと。と感じるのです。

 

私が勝手に両親を語るのはためらわれますが、

親は互いの家庭の都合で4年制大学に行けませんでした。

私みたいに奨学金を借りて大学に親が行ったとして、

その返済のために私達家族の生活費は削られていて、今よりも生活水準はひくかっただろうし、もしかしたら私は生まれていなかったかもしれません。

 

私が自分の好きなことや返済に使っているお金や時間を、親は私の養育に使っていたのでした。

親が満足に得られなかった支援を私は満足に得られていたのかと思うと、仕方の無いことですが親に申し訳なさすら感じます。

 

そうしたわけで、現在もダブルワークをしながら、おまるは奨学金を40年間返していくのでした。

 

最後に、個人の感想ですが学費を自分で支払う事は別に偉いことでは無いと思います

ただ、学費を支払ってもらっているありがたみを知らないことは許しがたいことだと思います

だから、親に学費を支払ってもらっていても、そのありがたみをちゃんと理解していれば、優も劣も甘えもないのだと思います

自分がしてもらった恩を別の形で還元できれば良いのだから

 

BGM/

Akari/kitri

マッチ売りの少女/水曜日のカンパネラ

202 feat. 泉まくら/ラブリーサマーちゃん

ESCAPE/MOON CHILD

 

明日もお仕事の人、一緒に頑張ろうね!

そうでない人、なんとか生き延びようね!