遺書のような、雑文のような。

これが私の生きた証。閲覧等々は自己責任で。

大学受験の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 4日目の記事です。


のくっそ重たいものをここで持ってきてしまったんだなぁ、おたんこなす🍆


これは大学受験の話です、うんうん

思い出しても涙が出るねぇ


私の大学受験志望校遍歴は以下です


高校1年春 九大or鹿児島医学

高校1年秋-高校2年秋  金大医学

高校2年冬筑波大心理


医学部にめっちゃ行きたかったわけでなく、医学部にしとけばどこの大学にも行けるし、親も喜ぶだろうというアホな考えでした

(九大、鹿児島は確か心理学かスポーツだか忘れたけどなんか有名な先生がいたんですよね)


それで高2の秋の面談で医学部は無理だ!ってバッサリ言われて

(親はめっちゃ反対した)

その当時部活のこともすったもんだあったので(これはバスケットボールをしていた話に書く)

メンタル的にもきてて、もう受験したくないや〜って時に

筑波大学のインカレを知り合いが出てるからってたまたまテレビで見て

「あっ、この大学行きたいや〜」ってなったのが志望のきっかけですね、単純単純


でもこのときのきっかけで、

部活も引退まで頑張ろうって思ったし

受験も頑張れたので

筑波大学男子バスケ部ひいては馬場雄大選手に感謝感謝ですね


そこからスイッチが入って

1週間で受験期は100時間前後は勉強してました(時間が身になっているとは言えんが)

早弁して昼休みは図書館で勉強、休み時間も勉強、土日遊びに行くのも断る、睡眠時間は3時間にしていたこともありました

とりあえずセンターも20年分くらいといて(数こなせばいいと思っていた)

あほはとりあえず量でカバーするしかないなぁとなってました


私が属していたクラスはいわゆる理系の下クラス(近隣の国公立に行ければ御の字)で私自身も頭が良い方ではなかったので

上クラスの人間や教員にはたくさんバカにされてました

でも、そんな人たちよりも馬場雄大に会えるなら頑張っちゃうね、なんと単純な女

(憧れ?)の力ってすごいわね〜


同じクラスの子にも本当に筑波行くの?って何回も言われたし

成績もなかなか伸びなくって(最後の模試で爆死して500点だった)

体調も何回も崩して固形物が食べれなくなるし髪は抜けるしで大変でした

あと直接糖分取ろうって砂糖水を常に飲んでたら10キロ近く太りました


でも英語の先生や、大親友、英語指導をしてくれた友達、塾の筑波心理卒の先生が背中を押してくれたのもあり

センターも自己最高点を出せました(神様がいたかもしれん)


ところが事件は起こった!!!!


へっへっへ、筑波に志望校出しちゃうぜ〜

と意気揚々で担任に前後期の志望校を出すと


おいおい、後期のところ聞いてねーぞ!


筑波に入りたい一心で関心と可能性のあるところ順に前後期出したのでたしかになぁとは思う(家の約束で国立のみかつ浪人したら就職なので)


今までの模試も志望校ほぼ筑波で埋めてるし

(とりあえず色んな学類書いとく)

(たまに元彼の志望校書いて難易度を見た)

心理には興味あるとは言っていたけれども

難易度とその後の職を考えるとやめた方がいいってずっと言われてたので

まさか、本気で書いてくるとは思ってなかったんでしょう、、、

(またとりあえず自称進学校は進学率を上げたいのでなるべく受かるところを進めるのです)(大人嫌い)


そして担任からは

前期のみ、後期のみもしくは全く前後期別の大学を出すように、、、と喧嘩になり

前後期で1枚ずつしか出せない志望校の紙は志望校を変更するまで渡さねーからな。と

なんやあいつ


そんな時、私と全く同じ志望校を出した人がいるとの噂が

その人は指定校で決まっているので思い出に受けるとのこと


その当時ブチギレ座右衛門だったので、いやいやいや、思い出とか知らんから

許せん〜〜〜となって

教頭先生に頼み込んで、担任の机から志望校を書く紙を取り出して貰い勝手に提出しました


結果は前期はダメで後期に合格して

晴れて男子バスケ部に入れることになったのです、やったーーーー


受験前日に不安なって塾の先生に電話したことも

行きのバスで大親友グループから応援メッセージをもらったことも

受験当日の帰り、同じ志望校の子に会って2学前のバス停で喧嘩したことも、

後期の時、バスの「ここから筑波大学に入ります」に戸惑ったことも

今思えば全部全部思い出で

当時の私の思い切りの良さ、向こう見ずなところは

1番かっこいかったし、なんも間違ってなかったって思うし

だからこそ今の私を好きでいれてるんだと思います


最初は転学も考えてて、なんとなく学んだ学類でしたが

今ではこの学類を卒業してよかったって思うし

もっと図書館に関わりたいなって感じてます


私をバカにした人たちを許す気はないけど

全然そんな人たちよりも楽しい4年間を過ごした自信があるし

今の大学を出たことを本当に誇りに思います


ちなみに前期の結果を言った時に

「ほら、言わんことない」と言われたので

後期サイレント合格したら

あとから電話が来て学校に呼び出されたし

合格発表の2日後には高校3年間付き合っていた彼氏から別れを告げられたりと

最後の最後まで楽しい受験生活でした


今回の記事でいいたいのは

努力は必ず身を結ぶわけではないけど

やったことは自分の何かしらの糧にはなるし

自分の思いは何よりも大事

結局はみんな他人事なのだから


人を恨むことはきっと良くないことだけと

それを原動力にしてくれた点では

バカにした彼ら彼女らにも感謝してる


あと生でみた馬場雄大は本当にかっこよかった、、、、

この人を追いかけて、茨城まで来てよかった、、(オーストラリアに行っちゃったけど)


BGM/

九龍レトロ/トーマ

HYBRID/しゅーず

WAVE/しゅーず

バビロン/トーマ