バスケットボールをしていた話
この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 6日目の記事です。
起きたらこんな時間で大惨事、どうもおまるです
もう休日が終わってしまう、、、明日からお仕事、、、
まぁ、おまるはダブルワークなので本職の方に行かないとお賃金ボーナスの恩恵を受けないのでお仕事に行くのは仕方ないんですけどね
今回も今回とて少し重ためな話になるかもですね
まぁ、今回のアドカレ自体がそうなるものなんですけど
ご存じ?の通り、大学ではマネージャーをしていましたが
高校までは普通にプレイヤーとしてバスケットボールをしていました
実はちゃんと動いていたんですよ、中学の時には市選抜、高校では選抜の練習会に参加させていただいたりしたので
バスケをはじめたのは小学校3年生の時、地元のプロリーグの社長さんに、近くでバスケをするから見に行かないか、と試合のチケットを渡されたのが最初でした
どちらかというと運動は得意ではない方だったのですが、初めて見たプロの試合にすぐにはまり、親に急いで地元の広報誌を探して連絡してもらいチームに入りました
私の地元にはチームが一つしかなく、いろんな地区から来る選手がいましたが
私の小学校では私しか所属していませんでした
だから最初は全然友達が出来ないし、コーチは怖いしでさんざんでした
唯一最上級生の先輩が面倒を見てくれるくらいでした
4年生になるとユニフォームがもらえて、1Q分だけですが試合にも参加させていただけるようになり、アンダーと呼ばれる4年生以下の試合ではスタートで出させていただけました
その当時のキャプテンはめちゃくちゃ怖かったです
5年生になると、なんと3Q分出させてもらえる、いわゆるベストメンバーになりました
ただ、このとき私より先に入っていたメンバーや親はあまり良く思わなかったので
試合に出る度に罵声が浴びせられました
今でも家にある当時のビデオを見るのはなんとなくためらわれます
ただ、私はミニバスを特別な用事以外では休んだり、練習中コートの外に出たりすることもなく
火木土、毎日決められた時間にバスケに行き、3時間近くただ練習をしていただけで、ここで続けることの大事さやきちんと取り組むときっと良いことがあるもんだと学びました
6年生でもベストメンバーに入り、ガードがいないから、という理由で1,2,4Qで試合に出させていただくことになりました
(前半1Q分と後半2Q分出るのがメジャー)
そして、副キャプテンにも任命されました
前年度の4年生とその前の年の怖かったキャプテンが推薦してくれたみたいです
私はあのとき、いつも怒られてばかりで自身を足手まといだと感じていたけどそうではなかったのかもしれないと思うと少し楽になりました
任されている重荷を感じたし、だからこそ一層周りから言われる声も強くなりました
だから、塾があってもできる限り練習を休まないようにしたし、小学校1年生からしていた空手もやめました
1つのミスが10の罵声になるようになっても、練習には行きました
そんな私がまず壊れたのは、長野遠征、正規メンバーが6人しか集まらず、試合に出るために急遽入りたての妹も遠征メンバーに選ぶ始末でした
試合は全試合フルででずっぱ、ずっとガード。スカウティングをしている相手からすれば格好のかもですよ
私がめちゃくちゃうまかったらなぁ、と何回もその遠征中に思いました
チームの中でキャプテンの次くらいには練習をしている、なのにどうして私のところでミスが起きてしまうんだろう
勝てない試合の中、選手も親もフラストレーションがたまり、罵声も強くなります
他の選手のミスも、ガードとしてチームを作れなかった私のせい
一人でご飯を食べていたとき、監督が
「あまり練習にこれていないから、俺の話は参考にならないかもしれない。けれどガードに、副キャプテンに選んだのは俺の責任だ。だから責められるべきは俺なんだ。○○はしたいプレーをして欲しい」
といってきたときは、この人のために弱音を吐くことはやめよう、と思いました
私の最初の恩師だったかもしれないです(今でも卒業の時にもらったタオルをもっている)
その後、地元のリーグ戦、私は中学受験をするための塾の合宿に参加するために2試合だけの参加でした
その2試合で優秀選手に選ばれるくらいに、その大会の私はうまくいってました
ただ、浴びる罵声もその分多かったです
帰り際、「チームを置いて自分の事を優先して勉強しに行くんだ、育ちが違うからね」と保護者に言われたのは覚えています
そこから、完全にバスケより受験を優先する私として、徹底的に無視が始まりました
練習中も話はしないくせに突然パスが来る、でも試合は通常通り臨まなくてはいけない
どうしたらいいかわからなかったです
初めて親にバスケをやめたいといったかもしれないです
そのときの答は、「中途半端なやつが一番ださい」の言葉で、弱音を吐く私に怒鳴っていた気もします
そんな中、引退前の大きな大会、特に何かをしたわけではないです、記憶の中では
いやな記憶は消えちゃう物なので不確かですが
決定的にバスケをやめよう、と思い親に相談をしました
そのとき、「今までわかってあげられなくてごめんね、いつでも味方だから」なんて言われた気もします、その当時の私は初めて親が慰めてくれた、と思いなんだか許された気がしていました、そこに勝手な信頼を持っていました
しばらくバスケを休んだほうがいい、そう言われてコーチから2週間休みをもらいました
2週間ぶりに行ったチームは私が壊れる前と変わらない、チームメイトが声をかけてくれる世界戦でした
「あ、私が待っていたのはこれだったんだな」と思いました
どれだけ試合で罵声を浴びても、チームメイトは変わらなかったです
そして1月の大会で無事に引退し、そのときに撮った写真の私はものすごく良い笑顔をしていました
中学は私以外未経験者だったので、ある程度割り切ってバスケをしていて
そんなに気に病むことはなかったです
「○○と私達は違うから、」とチームメイトに何度言われても事実なので傷つくことはなかったし、あれだけ苦しかったミニバス時代がそんな練習していない人たちと一緒であってはたまらないからです
ただそれは私の考えであって、彼女らの考えが爆発したのが高校の11月の大会でした
(中高ストレートの高校だったのでメンバーは基本かわらなかった)
その大会は確か助っ人を含む6人で挑んで、1人が前半に怪我をしたんですよ
(怪我をしたというか、怪我から復帰明けの試合だった)
(怪我したときのパスをしたのが私だった)
だから5人で後30分を試合しなくてはいけない
途中でリタイアするかどうか、が話し合われました
ただ、私としては途中で試合を放棄するなんて信じられんという感じで
そんな話も上の空、どうしてこの人たちはこの後の作戦について考えないのだろう、と全く取り合っていなかったです
前半がおわり、ハーフタイム、トイレに行きました
用を済ませて出ようとすると、戸が開かない、、、
おいおい、ここは学校ではなく公共の体育館だぞ
「ごめんね、、、」チームメイトの声がありました
こんな力出せるなら、試合できるじゃん。人の心がわからないからそんなことまで思いました
びっくりするくらい戸が開かなくて、何分トイレにいたのかわからないし
途中から全てを放棄してました
見上げた薄暗い天井から水が降ってくるのかな、なんて不毛なことを考えていました
そのあと押した戸はびっくりするくらい軽くて、本当に誰かが私を閉じ込めていたのかなんて信じられませんでした
コートに戻ると何一つ荷物がない、チームメイトもオフィシャルもいない、
相手チームが練習をしているコートがありました
たまたまいた審判に聞くと
「キャプテンが体調不良のため、棄権した」と教えられました
いや、キャプテンは私でこんな元気なんだが?
チームメイトがいない、私のバックだけが残った応援席に戻って服を着替えて、親の迎えを呼んで待っていると相手チームの監督さんが
「体調不良大丈夫?すごく良い選手だから試合が出来なくてもせめて練習くらいはしたかったと思う。体調管理も大事だよ」
と握手を求められたときは、その手を払おうかと思いましたが、とりあえず握手だけはしておきました
世の中の理不尽ってやるせなさってこんな感じなんだと思いました
空港が見える体育館だったので飛行機の離発着を見ながらぼんやり親を待ちました
「試合終わった」
「思ったより早いね」
「なんか私の体調不良で棄権なったみたい」
「そんなわけないやろ」
「トイレから帰ってきたら試合終わっていたわ」
「他の子は」
「知らん、会ってない」
親が来て、どこで会ったのか顧問の先生と言い合いをしているのが聞こえました
ぼんやり飛行機を見ながら
ミニバスから高校まで自分が一番辛いふりをしていたけど
本当に辛かったのは両親だったんじゃないかと思います
自身の介入できないところで我が子が傷つけられ、その傷だけを見ることができる
ビデオに入る罵声も、私から出る愚痴も、練習に行きたくないという発言も、どれだけ練習しても最善にはなれない私も
途中で投げ出すことが嫌いだったので部活は引退までは続けようとは決めていました
ただ、ここで明らかに私のバスケ人生は終わったのだと思いました
その試合の後1ヶ月くらい部活は活動停止になり、ご飯が食べれず毛が抜けました
目に見えるストレスでした
久しぶりの部活では、私がキャプテンを下ろされたことを伝えられました
だからといって何もないです
キャプテンになった子の親にその姿を見せられて良かった、と葬式できいても
だからといって何かというわけでもないです
部活でこんなことが起きても、クラスでは普通で毎日馬鹿やって過してました
こんなのは悩んだ方が損するだけなんだとそのとき感じました
成人式ではミニバスの時の子からミニバスメンバーで写真を撮ろうと言われ撮りました、その写真は手元にはないです
高校の時のバスケ部の子たちとは卒業旅行に行きました
私があのとき、この世のおわりくらい悲しんだことはこんなにもちっぽけな事だったんだと思うと
なんとなく清算できた気がして、今回記事を書きました
11月はいつも心が重たくなる気がして、心の中でお葬式をあげています
バスケットボールに出会って、傷も本当は感じるはずのない感情にもたくさん出会いました
でもクラブチームも含め、多くの人に出会い、時に出会う言葉に希望をもらい
続けてきて良かったと思いました
だから、間違ってもバスケットボールをさせてしまってごめんねと親には思って欲しくないのでした
BGM/
Desperate Angel/X JAPAN
午後のパレード/スガシカオ
あの娘ぼくがロングシュートきめたらどんな顔するんだろう/岡村靖幸