遺書のような、雑文のような。

これが私の生きた証。閲覧等々は自己責任で。

鬱の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 12日目の記事です。 

 

今日は全然頭が働かなかった日ですね~

お昼くらいに横浜から帰ってきて、インカレ準決勝をみて

寝て起きたらこんな時間、、、ご飯食べてないよ~

こうやって人は自律神経を崩していくのかもしれない、、、

 

というわけで、今回は鬱の話です

 

私が大学に進学してしばらくしてから母親に薬物治療がされるようになった話を聞き

去年の夏くらいに妹が不登校になった話を聞きました

 

お父さんは診療を受けたことがないのでわからないですが、話している感じ

同じ症状なんじゃないかと思います

 

そして、私の職場にも鬱病の人がいます

 

私の家族はコンプレックスを感じやすい性格で

それを何とかしようとするあまり、鬱になっちゃったんじゃないかと

勝手に思っています

(2人の鬱が発症したのは私が家を離れてからなので)

前にも書いたんですけど受験を頑張れたのは家を離れたかったところもあったので

その感覚は間違っていなかったんだと

 

世の中では努力だけでは、時間だけでは何とかならないことをもっと早く私の家族は気付くべきでした

本当に壊れてからは、接合することは出来てもヒビは直らないのです

 

例えるならば硝子

割れた硝子は接着剤をつけて1枚にしても

きっとどこかに取りこぼしたパーツがあります

そして、1度割れた硝子は同じ場所に負荷がかかるとまた簡単に割れてしまいます

完全な1枚の硝子にするには外部からの力(熱)を加えて1度どろどろに溶かして

別の形にしてしまうしか方法はありません

 

そして割れた硝子は誰かを傷つけます

だから、ヒビが入ったら、自衛の意味でも、他人を守る意味でも

環境を変えてあげる必要があります

 

私自身は鬱と診断されていないのでこれ以上当事者の話は書けませんが

周りの人間として感じたことをここでは話させていただきます

 

鬱病の人が身近にいると何よりもやっかいなのは周りの人でした

周りの人からの

「その人の分、貴方が頑張らないとね」

「その人はこれ以上言うと壊れちゃうけど、貴方は普通の人だから大丈夫だよね」

「その人はかわいそうな人だから、優しくしてあげてね」

が割ときついです

 

どうしてその人が出来なかった分が私に来てしまうのだろうか

出来ないなら、出来ないでどうしてそこで止めないのだろうか

結局何が当事者を追い詰めたのかがわかっていないのだろうか

その人に言うことが出来ない分を他人にぶつけて良いのだろうか

人によって対応を変えることは仕方のないことだが、それ以外の人の感情は関係ないのだろうか

 

こうした負の感情が、そうした言動をしてしまう第三者に向かうことはまだ正常です

でもそれが、その人に向いてしまったとき、恨みという感情が湧いたとき

そのとき、その人はまた一つ生きていく場所をきっと失うのでしょう

 

そのことにもっと早く第三者は気付くべきです

 

誰かの手を患わせているのはその人だけでなく

自分もそこに荷担していると言うことを

 

BGM/

罪と罰/初音ミク

REVOLVER/Luz

瞳に映らない/indigo la End

東京テディベア/Neru

やさしいキスをして/DREAMS COME TRUE