遺書のような、雑文のような。

これが私の生きた証。閲覧等々は自己責任で。

院生の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 15日目の記事です。 

 

さて、とうとうこの記事を書く日が来ましたね

思ったより早いなぁ(自分で設定したくせに)

今回はいろんな私が出てきます、書くのがためらわれる理由の一つです

まぁ、楽しく書いていくのでどうぞおつきあいください

ちなみに、今回は私が院生になる話とかではないのでそう言うのだと思った人はUターンしてください(古い時代の人)

 

私が最初に院生と会ったのは大学3年生の4月、場所は部活の作業室

院生は、別の院生と友達の結婚式用の動画を撮っていたみたいです

正直めっちゃうるさかった、ウェイ怖い

だから最初は普通に苦手でした

話しかけられるのもいやだったし

親に学費を払ってもらって私立の大学から推薦で入学したって聞いて

余計にいやになりました(絶対この人人生で挫折とかしたことないんだなって思っていた)

 

こんな感じだったので

6月にさしで飲みに行ったときは、この人「いつか行きましょうね」の社交辞令が通じないんだなぁって思っていたし

3年の誕生日を祝われたときは仲良くないのにどうしてだろうか

向日葵を見に行ったときは、「まぁ、車があってラッキー」

インターンから帰ってきて、突然誕生日を祝うことになったときは「この人、自分の誕生日を忘れているんだろうか」

部屋に入ったときは、「リッチな大学生の部屋って間接照明だらけだなぁ」

と本当になんてやつだって感じでした

 

この頃は普通にだめんずと関係があったので二の次もいいところ

だめんずとの予定が入ると先に予定を決めててもキャンセルしたし

院生とその日会うってなっても普通に会う時間まで寝てたり、

車の中で化粧したり、感謝の言葉より先に疑問を投げたりと自分勝手でした(今も変わらんけど)

 

ところがおむすび、

鹿児島遠征のとき、海でお話ししてると

「あれ、この人のほうがちゃんと私のこと見てるんじゃない??」

その後、だめんずに追い出されて海老フライを作ってもらったときは

「この人の方が私を大事にしてくれてる」

京都の町で雨に打たれたとき

「大事にするのはこの人なんじゃないか」

と2月から3月にかけて私の心はすこし動いていたのでした

 

といっても、まだ完全にだめんずと切れたわけではなかったので

夜はだめんずのとこに帰る事が多かったし

院生と一緒に行ったディズニーもずっとそわそわしていました

 

ただ、だめんずの家で食べられないご飯や、道具としてみられている自分と

院生の家でもてなしてもらっている自分

優先すべきなのは明らかに後者で

だめんずが女子高生と付き合ったときにあっさりそっちは終わらせました

 

教育実習くらいからずっと入り浸って、ご飯や洗濯をしてくれ、朝起こしてくれるときは正直便利だなぁと思っていました

ただ、鹿児島遠征の帰りに練習日程を考えたときから、何度か部活に真摯に向き合う院生を見ているとなんとなくこの人を支えてあげたくもなるのでした

 

この人がいないと私ダメになっちゃうんだなと感じたのは7月、院生がいない夏の部活

この頃は卒論があったり、部活も世代交代が近づいていて

心身共に疲れていました

「あ、この人等のためには頑張れないかも」そう思って一度「やめたい」と部員に口にしたこともありました

 

8月、正直福島遠征は院生のためでした

最初は、「元々気になっていた大会だし、出身地で試合が出来るならきっと思い出だし、茨城からちかいからね~」くらいだったのが

「なんとしてもこの遠征を成功させたい」

そう思うようになりました

 

この頃は部活も忙しくて、本当にラストだったので

いろんな人とケンカしたり論を重ねました

その中で一度、猛暑での練習試合にトレーナーが帯同しなかったときがありました

選手からはトレーナーに対して罵声とも言えるような言葉がグループLINEで飛びました

その中立にいたのが、マネージャーの私でした(とりあえず言いやすかったらしい)

選手の言いたいことはわかる、ただAチームが優先になるチーム事情もわかる

両側から電話が来ました(この電話は院生の家で受けていた)

普通に院生は疲れて寝ていたんですけど(たぶん軽く脱水になっていたと思う)

電話で起きて、泣いているのを見たときに

素直に「あ、こんな私のために涙を流してくれるんだ」と思いました

これ以上はくそメンヘラになるので割愛です

 

結局無事に引退して、(最後優勝してくれてありがとう、、、)

9月には彼女と同棲するから普通に終わるのかな~って思っていました(荷物は引き上げた)

ところが、誕生日の前日の23時50分くらいに電話が来たんですよね

このとき、私は京都旅行から帰ってきている途中でした

そのあと誕生日を院生の家で祝いました、こういうところがダメなんだなぁ

普通に彼女の服が入った衣装ケースが部屋にあってしんどかったです

 

それからも、私の自由単を一緒にとってそのままつくばで呑んだり、

バスケを体育館を借りてしたり

一緒に卒論を書いたり

家には入れなかったけど、一緒にいる時間が多かったです

(基本的に家に行くときは私の家)

 

だから3月のおわり、彼の家に久しぶりに入れたときは

涙が出そうになったし、配置のかわった部屋が寒かったです

そして、卒業式の直前は、彼はアパートを引き払っていたので私の家にいたのですが

なんだか一緒にいた日々みたいで、勝手に楽しかったです

 

院生とは最初の感情が嫌いだったので、どんな自分を見せるのもためらわなかったです

ださい自分も、突然鬱になる私も、誰かを認められない私も、感情に素直にたくさん見せました

そして院生は決して私の生活を侵害しなかったです

バイトがある、というと仮眠をとって部屋を暖めて帰りを待っていました

マネージャーの仕事が長引くというと、ご飯を作って待っていてくれていました

院生といるとき、私はお姫様のような気持ちでした

こう書いてしまうと本当に都合の良い存在なんじゃないか、と思ってしまうのですが

それについて不満を言われることも、彼の態度が私を意識したものになることもなかったです

出会ったときから、目の前にいる人に最善をつくす彼の在り方が好きでした

 

男女だから色事を意識した時期もありました

でも男女だからという理由でこれだけ居心地の良い関係を崩したくないというのも事実でした

だから、この人との関係を切った方がいい、そう言われても切れないんだと思います

そして、この人と接して、損得を気にしない優しさがある事をしりました

きっと彼は誰にでも同じように接するし、私が仲が良くて時間的都合が合うだけで恋愛として好かれているわけでないです

 

今も月に1回は会うし、会う度にいろんなところにつれてってくれたり、おいしいものを食べさせてくれます

週に1回は電話をするし、毎日LINEもしています、誕生日プレゼントも贈り合ったし

今年の向こうの誕生日はまた電話が来ました

行事の度に会ったり電話していると、勝手にその人の1番になったように錯覚します

 

今、こうしてありのまま感情を伝えられているのは彼のおかげなところが大きいです

親の話や自分の過去の話は出来ないものだと思っていました

昔と変わってしまった自分に悲しむ他人もいます

 

いつかの座右の銘

「誰かの好きな自分は 自分の好きな自分」でした

でも今の心に決めていることは

「今死んでもいいように生活する」です

(座右の銘についてはまた後のブログに書きます)

 

いつまでこんな関係が続くのかわからないし

行き着く先は地獄かもしれません

でも彼と一緒に過した3年近い日々は

私の人生においてかけがえのない楽しい時間できらきらしています

 

そして、彼と会う度に

「今回で会うのが最後かもしれない」とおびえ

 

彼の口から

「彼女と結婚するんだ」なんて言葉を期待しつつも

大切な友達を一人失うかもしれない不安を感じるのでした

 

BGM/

夏が帰る/aiko

二時頃/aiko

ベットルームの夢/ラブリーサマーちゃん

誰のことを一番愛してる?/坂道AKB

ブルーベリー・ナイツ/マカロニえんぴつ

売春/女王蜂