遺書のような、雑文のような。

これが私の生きた証。閲覧等々は自己責任で。

バイトの話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 11日目の記事です。


昨日のバイト突然推しが入ってくれて

びっくりしてLINEしちゃった!

なんて乙女なところがあるおまるです


さて今回はバイト遍歴について書いていきますかね〜

 

1年5月

駅前のミスドの面接受けるもお祈り

メディカルセンター内のカフェで働く(今はない)

→最初から給料が知らされず、最低賃金以下だった

キッチンは基本2人、売れ残りのパンがめっちゃもらえる

バーコードという概念がないので値段を覚えるのが辛かった

 

1年7月

駅前のコンビニで働く

→生活が狂いだしたと言っても過言ではない

5-8時のシフトからの1限出席

時折夜勤が入る、なんでや

カラーボールを1度だけ投げました(めっちゃ面倒なことなった)

ワンオペなんて日常茶飯事

 

1年10月

勧められてスーパーでのバイト

→この時は月に10回入ればよかった

長すぎる研修期間

卵とレジ閉めしかせんだ1-2年

友達の概念が崩れたのがここ

 

2年7月

カフェを辞める

→その3ヶ月後くらいに潰れた

オーナーさんは良い人(SNS繋がっている)

1時間ある掃除の時間が地味に好きだった

 

2年1月くらい?

コンビニバイトをやめる

→オーナーが変わってやばくなって1回辞めるって言っても聞いてもらえなかったのでシフトも出さず、着信拒否した

飛んじゃう人多くてなんか普通にやばかったと思う

 

3年8月

ブルーベリー畑で短期のバイト(1月のみ)

→友達の家だったのでめちゃ楽しかった

でもすごい蚊に食われた

 

3年12月

しゃぶしゃぶ屋でバイト

→人間関係のやばさはスーパーで学んでと思ったが甘かった、ここが普通にやばかった

厨房で2人分のご飯を作る女

バイトから正社員になって、大学中退した先輩

 

4年4月

しゃぶしゃぶ屋をやめる

→3ヵ月でやめますって言ったのに認めてもらえんくてしぶしぶ1ヵ月増やした

最後の日に制服にポン酢ぶちまけたので普通に捨てた

昼のシフトの人はいい人だった

 

4年12月

派遣をはじめる

→責任を負わなくてよいのは楽だった

1回1回職場を変えることで難しい仕事が来ないようにしたけど

たまにはずれを引いていた

ZOZOは人に会うので行かなかった

 

4年1月

被験者バイトをはじめる

→いろんな人の研究が見れてなんだかんだ楽しかった

 

現在

図書館で仕事の傍ら、スーパーでバイト


こんな感じですね〜

いろんなところをしたかなって思ってたんですけどそこまでうろうろしてなかったですね

(富山にいた時は新聞屋さんとかプロバスケチームの設営とかもしてた)


いろんなバイトを経験してよかったことは

1つのバイト先を辞めるのに躊躇いがなくなることです

コンビニとカフェを辞める時は本当に言うタイミング悩んで、他の人のことを考えてなかなか言えなかったんですけど

しゃぶしゃぶ屋なんて契約期間あと1ヶ月で切れるな〜ってタイミングで真っ先に言いました

なんだか色々ぐだぐだ言われるけど、一応辞める側は法律で守られているので

ちょっとでも違和感を感じたら辞めるって言いましょう

突然飛ぶのは自分に非ができるので遅くとも2週間前には言いましょう


たかがバイトです、

そんなので精神を病むのは良くないです

バイトはボーナスだってないし、保険だってある一定のとこまでは払わないです

だからそんな責任を負う必要ないです

自分の大事な時間は有効に使いましょう


また、いろんなバイトを経験すると

あ、世の中探せばちゃんとお金を稼げるんだなってマインドになります

このマインドは会社に勤めるようになって活用されると思います

(満たされて生きていくためには正社員が良いけど必要最低限生きれれば良いならバイト掛け持ちでも良い)

それに1つ辞めたからとても全部がなくなるわけでなく

ちゃんと世の中需要と供給が成り立ってるんだなぁって思います

(辞めても採用されるとこがあるので安心してねってところ)

(需要のレベルを落とす必要はある)


ただ、場合によっては

まぁ、そういう人しか集まらんよな。

ってバイト先もあるので

バイトを始める時は友達とか知り合いにある程度お勧めを聞いておくと

変なところを引かない(かも)しれないです


BGM/

バイト バイト バイト/クリープハイプ

UFOを見た!/くまきち

LIFE/YUI

ふらりふらりと/タルトタタン

4年生の時の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 10日目の記事です。


今日は早くバイトが終わりました、わーい
推しが仕事を手伝ってくれて、
〇〇(おまるの本名)さん、これで今度から手伝ってくれますよね?
って言ってきました、小悪魔だ
明日仕事行きたくね〜〜、毎日のことですが

今回は備忘録です、
あまりにも4年生として過ごした1年間(多少3年次も含む)楽しすぎたので記録を残します
あの時は本当にいま死んでも後悔しないってくらい、本当に楽しかったです
関わってくれた皆さんありがとうございました!
というわけで時系列ごっちゃですが1年振り返りです!

2019年1

だめんずからニューイヤーLINEが来た

オールスター観た

夜行バスで帰ってそのまま筑波山登った

だめんず半同棲

大洗に朝日を見に行った


2

Twitterで知り合った人と北千住でご飯した

だめんずの誕生日

違う人の部屋で朝を迎えた

すき焼き童貞卒業した

4年生チームで試合に出た


3

母校で説明会に出席した

いちごパフェ食べた

鹿児島に行った、黒かった

教育実習事前指導の後京都に行った

雨の降った夜の街で泣いた

大親友に会った

だめんずと元カノと飲んだ

バッティングセンターに行った


4

ディズニー行った

北条で桜見ながら花火した

友達が来た

定期戦があった

結構大きい練習試合組んでクレープ食った


5

バスケを始めたきっかけのひとに会った

スタディプラスで知り合った人にあった

トーナメント

ドイツ村行った

お台場の観覧車乗った

レインボーブリッジ見ながら外でご飯食った

家族が来た

調査票配布

部員の誕生日に焼肉行った

コナンみた、プリクラも撮った

いちご狩りに行った、ハーベストにも行った

友達にあって令和を北千住で堪能した

教育実習

違う人の家に行くようになった

だめんずとバイバイした


6

教育実習

着手

タピオカ童貞卒業

大洗の水族館に行った

新人戦

運命の美容師さんに出会う

高校の学園祭に行く

部活でバスケを部員とした

スタッフ飲み会、誕生日会

総合の単位を回収しきる


7

お風呂カフェに行った

教採前日電話出れんで後悔した

川越氷川神社行った

大宮でスポッチャした

部活辞めるって言って怒られた

メロンに酒とアイス入れて食った

小山に行って髪を切った、後ろが9ミリになった


8

ずっと計画していた福島遠征

初の東北・福島で誕生日を迎える

関東甲信越大会優勝・引退

院試

メヒコに行く

実家に帰る


9

友達と京都に行く

院生の誕生日を祝う

寄生していた家を出る

週一バスケする

部員と喧嘩する

品川の水族館に行く

幸手の映画館で無観客状態

五反田でめっちゃ美味しいパスタ屋さんに会う

ホームゲーム


10

中間発表

横浜のおしゃれなバーに行く

公務員講座で祝勝会をした場所に行く

台風が怖かった

バイトが楽しかった

食と酒に行く

好きな授業を取る、一緒に授業を受けて終わったら飲みに行く

野毛山動物園に行った

横浜飲み歩き

クラブチームの後輩に会う

友達の家でお泊まりする


11

モーターショーに行く

ゼミの先生がご飯奢ってくれた

ポケモンGOにハマる

妹の大学説明会についていく

東京家族旅行、院生が東京まで送ってくれた

実家に帰る、ハンド部の試合を見る

富山城探索、図書館の展示会を見る


12

インカレ優勝

部員とご飯会からの友達いない会

引退飲み

クリスマスに誕生日会をする

親と友達が東京に来た

4年生で飲んだ

卒論提出

怒涛のバイト


2020年1

駅伝見にいく

北千住で飲む

キッチンカーにお世話になる

最終発表

アル中で運ばれる

派遣を始める

学類の子とめっちゃ飲んだ

卒論お疲れ飲み

大分に学会発表 

うみたまごに行く

高校の友達と絶交する

亀戸で飲む

車当て逃げされる

就職面接4月からの職が決まった

突然司書教諭に目覚め単位を取り出す


2

妹が受験で泊まりに来た

引越しをした

追いコンをされた

4年生で試合に出る

オルゴール美術館に行く

人生初富士急

サイゼリヤで食当たりする

友達の結婚式に参加する

おっぱい会開催

チームラボに行く


 

3

友達に富山で会う

ホタルイカミュージアムに行く

イチゴパフェを食いまくる

後半から毎日のように予定を入れ出す

取手まで桜を見に行く

友達いない会

卒業式

川治温泉

高杖でスキー


こうやって振り返って書いていると

本当に楽しかったなぁって思い出しては

もう2度とそんな日々が返ってこないのだと痛感して涙が出ます


でも過去を振り返ってばかりでは前には進めないし

今をきっと楽しめないのでね、

私は今日も1日後悔しないように生きます

その積み重ねがきっと私の生涯をよかったと肯定させてくれるのだから


BGM/

愛の標識/クリープハイプ

ABCDC/クリープハイプ

蜂蜜と風呂場/クリープハイプ

シュガーサーフ/おいしくるメロンパン

楽園/indigo la End

LIFE/kitri


ダブルワークの話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 9日目の記事です。

 

さてさて、今回は近況の話ですね

あまり、今をテーマにした回は少ない(はず、、、)のでちょっとドキドキしますね

 

現在、私はダブルワークをしています

8時半から16時半まで図書館、21時から25時くらいまでスーパーでバイトをしています

1日の流れはこんな感じ

 

7:30   起床

8:10   出勤

8:30   バイト始業

16:30  バイト終業

16:45  帰宅→ご飯作ったり洗濯

18:00  昼寝

20:30  出勤・買い物

21:00  バイト始業

24:30 バイト終業

25:00 帰宅→お風呂

26:00 睡眠

 

本当は契約上ではバイトは24時半なんですけど、そんな日に終わることはめったにないですね(早くいくことはあっても早く終わることはまれ)

時間の使い方は学生のころとはあまり変わっていないのでわりとルーティン化してます

(部活の時間が睡眠になったのでその分楽かもしれん)

 

図書館はぴちぴち1年目なので、めちゃくちゃ疲れます

雰囲気とか、利用者対応とか、あと何より迷惑かけられんってプレッシャーがでかいです

スーパーはもう今年で5年目なので割と融通がきくし

バイト先のみんなが優しいのでぽやぽやしています

 

<ダブルワークのここが良い!!>

お金が入る

無駄な時間が減るのでいらんこと考えんでよい

コミュニティが広がる

 

<ダブルワークのここがダメ!!!>

疲れる

書類や申請(確定申告など)がめんどい

周りの人への説明がめんどい

片方で問題があると片方に迷惑をかける

 

この一番最後のがしんどくて、バイト先でコロナが出たときは

いろんな偉い人に電話したし

ダブルワークの申請、ちゃんとした?って改めて聞かれるのも

ダブルワークしてたんですねって言われるのも鬱でしたね(仕方がない)

 

掛け持ちバイトも経験してきた身も踏まえて言うと

始業終業時間がきっちりしていないとしんどいです

(コンビニの時がつらかった)

遅れるって連絡するのも時間に焦りながら仕事するのも神経が磨り減るので

その点今の図書館は残業がないので助かっています

 

あとお金が入る点は、扶養云々があるので社会保険に入っておきましょう

趣味程度のダブルワークならいいのですが、ほんとに生活していくために

ダブルワークをするなら103万?の壁が非常に邪魔です

(ただ入る会社によって割合が変わるのでなるべく会社が多く払ってくれるほうにしましょう)

 

あとダブルワークで一番大事なことは

片方のお仕事のことをもう片方に持ち込まないことです(戒め)

コロナパターンしかり、

「朝行っているお仕事がきついので、バイトを早く抜けます」

は通用しますが、周りにとっては大迷惑です

なんだかんだ人がいないと大変なのですが

いるはずの人が抜けるのと、最初から人がいないというのは

心の持ちようや周りの備えが違うんだと感じました

 

無理だと思ったらすぐに1つにしましょう

二兎追うもの一兎得ずです、信頼をなくします 

 

私は何もしていない時間が苦手で

何か得られていると実感していたいタイプなので

(時間を持て余すと昔のことを考えたり、生産性がない人間だと痛感して鬱になる、つまり労働

アイデンティティ

ダブルワークをしてます

日々つらいっぴっていいながらバイトしてますが

無理がたたると普通に体調を崩します

 


一生懸命働いてお金を稼ぐことも大事ですが

健康が第一です

自分の体は、一度傷つくと完全には元には戻らないし

時間も過ぎたものは戻ってきません

 

楽しくなるためにお金を稼いでいるのに

入院しちゃった、、、本末転倒、、、、ってならないよう

ご自愛くださいませ。

 

BGM/

アイデンティティサカナクション

チロルとポルノ/クリープハイプ

rhythm/kitri

チャイナタウン/パスピエ

卒論の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 8日目の記事です。

 

私のインスタのストーリーにも卒論が終わらないというメッセージを目にするようになりました

もうそんな時期ですね、今回のテーマにぴったりです

私は卒論の時はおいしい物食べてないとやってられないよ~って毎週のようにおいしいお店に行っていた気がします

(これはつくば・関東の話で詳しく書きます)

週に1回ストレス発散がてらバスケもしたのですが、途中からはそれどころじゃなかったですね

あとは土浦イオン3階のカフェでパソコンパチパチしていました

つくばイオンよりも土浦の方が体感バイト先に近かったんですよね~~

 

卒論は本当は自殺研究がしたくて、

鬱の人にTwitter上でソーシャルサポートを与えるとどうなるのか

倫理的な理由でダメになりましたが

 

で結局、Twitterとソーシャルサポートと心理的幸福感について対人研究を行いました

卒論作成自体はいろんな意味で大変だったんですけど、本当に楽しい続けたかったなぁと思う研究でした

 

研究のスケジュールはこんな感じでした

2018.12- 先行研究あさり

2019.3       研究テーマ決め

2019.4       調査票作成・モデル図検討

2019.5       配布・集計

2019.6       着手発表(目的・先行研究・調査票について)

2019.7       データ打ち込み・仮説作成・モデル図作成

2019.8       統計ソフト(SPSS/Amos)で検討

2019.10     中間ポスター発表(モデル図の説明)

2019.10- 学会論文執筆

2019.11-    卒論作成

2019.12      卒論提出/学会発表練習

2020.1        学会

 

割と早めにはじめたこともあり、執筆に時間をかけられたのはとても良いことだったなぁと思います

また、調査票にもらうコメントにとても励まされました

何かしら自由記述欄に書いてあると励みになるのだなぁと

それ以来ファミレスとかにあるアンケートにまじめに書くようになりました

 

そんな私が後輩に伝える卒論の注意点

1.とりあえず周りに言う

→わからんこと・愚痴・発表練習なんでも良い!第三者の目がなんだかんだ役に立つ

特に私の学類はいろんなフィールドの人がいるので予期しない突っ込みをくらうことも

専門性のある人にもない人にもわかりやすい内容が一番大事

あと閉室空間では、そこの流れは変えられないので鬱憤わいてもたまるだけです 

 

2.とりあえず記録を取る

言われたことをとりあえずメモ、これは研究内外ともにです

いつか証拠になります、、、

あと卒論は上書きでなく名前をつけて保存を選びましょう

 

3.とりあえず書く

私の学類はどんだけ単位をとっても卒論が認められないと卒業できません

とりあえず書いて出す、出さなきゃどうにもならん

あと書くことが誠意に繋がります、誠意大事

 

1度しか論文を書いたことがないので偉そうなこと言えませんが

ゼミでは、これだけやってみたんですけど結果が出ませんでしたが通用するんですが

(出なかったので今後どうするかって話になる)

本番の発表ではそれだけだと通用しません

(どうしてしなかったかの言及になりかねない、、、何してたの?っていってくる先生がいます、多少であれば今後はこうしたところも見てく必要があるって言えるが研究続けるの?って質問が飛んできます)

仮説のすりあわせがゼミで起き、それが私にはうーんってところもありました

ただモデル図が書けないと仕方ないからなぁでなんとか処理してましたが、、、

そして私達は卒業するために書いている卒論ですが、教員としては自身の地位にも関わるゼミ生の卒論、、、

それゆえ、先生も必死でいろんなことをいうわけです

時には、なんやなんや!ゆるせーーーん!みたいなこともあるのですが

それも一つの社会勉強と思って受け止めましょう

悔しかったら、それ以上の論を持ってきましょう(私は言いくるめられましたが)

ただ個人的には議論をするのが好きな先生が多いので、質問の仕方は厳しくても楽しそうに話してくれる先生が多かったです

 

ここまでは表向きでここからは内心です(決して教員には見られたくないのですが)

 

 

とりあえずだせーーーーー!

私の学類はありがたいことに発表後訂正の期間があります

そのときに言われたことを直そう

(言ってないことは直しようがないのでそこでダメだと言われたらそこはぶち切れましょう)

完璧じゃなくてもいい、とりあえずスライド作って決められた時間内話そう!!!

出して発表しないと訂正チャンスはゲットできないぞ!

 

あとどんだけ体調悪くてもとりあえず発表の日は発表しましょう

しようとする心意気、ひいては誠意が大事なのです

 

ちなみに私は徹夜がたたって、発表後の飲み会でぶったおれて運ばれました

めちゃくちゃいろんな人に迷惑をかけました、ほんとうにすみませんでした!!!

学類長にもめちゃくちゃ心配をかけました!!!!でも卒業は出来ました!!!!!

 

あと学会はとても楽しかったです、興味のある人がわざわざ来ているからなのか

いろいろためになる質問をしてくれます

大分に初めて行って、観光と言えば別府温泉くらいしかわからなかったのですが

うみたまごは魚たちが近かったし、りゅうきゅう丼(海鮮丼みたいなの)はめちゃくちゃおいしい、あととり天

あと人がめちゃくちゃ優しい、近所のおばちゃんみたいな感じで

サービス旺盛でした

 

着手の日に、教育実習ぶち込んで怒られたり

お風呂カフェでデータ動かしたり

ファミマのWi-Fiにたくさんお世話になったり

今思うと思い出だらけの卒論でした

 

4年間どれだけ授業をまじめに出ても卒論が認められないと学位ゲットは出来ないのです

とりあえずだそう、論文書いている全ての人尊敬するし応援しています!!!!

 

BGM/

蛙/キズ

イレヴンレイヴガール/巡音ルカ

大声ダイヤモンド/AKB48

無線LANばり便利/ヤバイTシャツ屋さん

 

だめんず諸々の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 7日目の記事です。 


今日からインカレ開幕です!!

可愛い後輩たちに声援よろしくお願いします!!


そんな良き日に今回はだめんずの話です

なんだかんだ今回の企画の中で関心度の高い記事なのではないかと思います

まぁ、まとめみたいな感じで書くのはこれが初めてなので、、多分??

 

だめんずとは今はもう会っていないんですけど、SNSでは未だに繋がってはいます

ただ投稿を見る度にやっぱり価値観が違うなぁって思います

結婚しても良いかなぁってくらい思う時期はあったんですけどね

 

だめんずと出会ったのはバイト先で、元々別の時間だったんですけど

だめんすの方が私のバイトしている時間で仕事するようになって

まぁ顔は良かったので仲良くなりたいなぁと

最初はLINEとか電話してて、なんかの電話の機会に家に行こうかなっていわれたのが

ダメな関係のきっかけだったと思います

その日は入れなかったんですけど後日家に来て、そこから1月に1回家に来るみたいな

これが大学2年の2月かな~~~

その当時だめんずにも彼女がいて、早く別れないかなぁとかなんとか思っていましたね

そんな感じで過していて、半同棲みたいなのをするようになったのは大学3年の秋

向こうの家で半同棲するようになって、初めて家にはいったんですけど

めーっちゃきたなかったなぁ(失礼)

人を入れる家ではないなぁって思ってめっちゃ掃除した、ゴミ袋3個分くらいのペットボトル捨てた

家には入れたわくわくで全然感じなかったけど、今思うと掃除して、ご飯作ってめっちゃ家政婦みたいなことをしていたなあ

 

恋は盲目という物で

部活の遠征中にだめんずから電話あると出ちゃうし

ご飯がおいしくないって言われても、もっとおいしく作れるよう頑張らなきゃって思ったし

車の送り迎えも全然苦じゃなかったし

家にいない間に干しといてって言われた洗濯物干したら干し方が違うって怒られたり

突然殴られたりすることも全然耐えれました

 

3年生の冬にちょっとしたトラブルで車が使えなくなったときに

バイト先まで送ってよ、っていったらめちゃくちゃ断られて

自転車で40分かけてバイト先に行ったときにこいつなんか違うなぁって

寒空の下ふと思いました

 

だめんずとの生活はいつもいろんな女の子の影があって

夜中に電話が来ることも良くあったし

自分で使わないんだろうなぁってものも部屋にはありました

でも、私用の食器を部屋に置いてくれたり

模様替えをしてくれたり

時に見える優しさが私の気付いた違和感を埋めていくのでした

 

だめんずと私の生活感は全然違ってて

冬もコマ数が多くゼミも部活もある私

午前中はずっと寝て、部活に行って、朝4時くらいまでユーチューブやゲームをして過ごすだめんず

日が昇る時間までつく電気も、なぜか連れて行かれる彼女との飲み会も

だめんずの部屋では開けない私の赤いパソコンも

全部全部無駄だと思いながらも目の前にある幸せをうしないたくなくって合わせていました

 

当時の私はこんなことをしながらも下手にまじめだったので、彼女と別れてよ、とずっと言ってました(自分から半同棲を解消しようとはしなかった)

いろんな子と添い寝をしたりしたのがその時期だったのですが、

その中でも最低限の理性は働いていました

 

そんな中1番長く時間を共にしたのがだめんず

そのとき1番予定を優先させていたのもだめんずでした

 

事件が起きたのはだめんずの誕生日でした

 

この日は私はダブルバイトで、1つのバイトの1時間しかない休憩時間に必死で予約していたケーキを取りに行って

もう1つのバイトも時間通りになんとか終わらせて、12時は過ぎたけど出来るだけ早くおめでとうって言おうと思ってピンポンを押すと出ない

なんで?

もう1回押す

そうするとめんどくさそうに出てきて

電話かけてんだから、ピンポン押すなよ、うるせぇんだよ

あ、そうか

そういって買ったケーキを玄関に置いて、帰りました

 

次の日の朝、だめんずからごめんねと一緒にケーキを食べようのLINEが来ていました

あんなひどいこと言われたのに

 

普通にだめんずの家に帰りました

家で少し堅くなったケーキを食べました

おいしいお店のケーキって次の日でもおいしいんだと実感しました

 

それからもだめんずとは続いて

次に事件が起きたのは私が鹿児島遠征から帰ってきたとき

 

お土産を渡そうと思って家に行くと

おまえは俺の何なんだ

と怒鳴られ帰りました、お土産はだめんずの家の駐車場に捨てました

 

連絡が来ていた別の人に電話して

2時過ぎくらいにその人の家で揚げてくれた海老フライを食べました

誰かの悲しみを別の人で埋めようとするような、ただ満たされていたかった人間だったのです、あの頃の私は

(海老フライは誕生日の時かと思ったらLINEさかのぼったら別の日だったみたいです)

 

でも全然だめんずを忘れられなくって

普通にLINEしてて、電話もして家に帰って

周り方見たら、切った方がいいよって言われても全然気にしてなくって

LINEを見ると吐き気がするような履歴が並んでました

 

捨てたストラップをつけてくれたときも

朝からパチンコに並ぶっていわれたときも

だめんずの家でご飯を作って、松屋で自分のご飯を食べているときも

 

全部おかしいってわかっているはずなのに

もうこの家には帰らない、とはいえなかったです

 

そしてだめんずと切れたのは大学4年の5月、だめんずに高校生の彼女が出来たときでした

そのときに

「家にある物を全て処分して欲しい」

そう言って、連絡を切りました

 

その後もだめんずからは、電話やあの頃のようなメッセージが来ましたが

ほとんど無視でした、まぁ一方的に私が悲しんでいた強がりなんでしょうけど

 

別の人の家に行くようになって

あのときの生活がいかにゆがんでいたかを実感しました

あのときはどうして自分の事を全然大事にしてあげられなかったんだろう

と今でも思います

 

正直あのときのことは消したいくらいの黒歴史です

でも、朝日を目指していった大洗はとても綺麗でした

 

あんなダメ男を経験したからこそ

自分の中でも線引きが出来るようになったのかもしれないです

 

私のマイメロの枕はちゃんと燃えるゴミに出されたのかなぁ

 

(この記事を書くために過去のLINEをさかのぼったのですが本当にしんどかったです)

 

BGM/

メンヘラ/ミオヤマザキ

女に浮気がバレる26の法則/ミオヤマザキ

この夜を止めてよ/JUJU

ラブホテル/クリープハイプ

バスケットボールをしていた話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 6日目の記事です。 

 

起きたらこんな時間で大惨事、どうもおまるです

もう休日が終わってしまう、、、明日からお仕事、、、

まぁ、おまるはダブルワークなので本職の方に行かないとお賃金ボーナスの恩恵を受けないのでお仕事に行くのは仕方ないんですけどね

 

今回も今回とて少し重ためな話になるかもですね

まぁ、今回のアドカレ自体がそうなるものなんですけど

 

ご存じ?の通り、大学ではマネージャーをしていましたが

高校までは普通にプレイヤーとしてバスケットボールをしていました

実はちゃんと動いていたんですよ、中学の時には市選抜、高校では選抜の練習会に参加させていただいたりしたので

 

バスケをはじめたのは小学校3年生の時、地元のプロリーグの社長さんに、近くでバスケをするから見に行かないか、と試合のチケットを渡されたのが最初でした

どちらかというと運動は得意ではない方だったのですが、初めて見たプロの試合にすぐにはまり、親に急いで地元の広報誌を探して連絡してもらいチームに入りました

 

私の地元にはチームが一つしかなく、いろんな地区から来る選手がいましたが

私の小学校では私しか所属していませんでした

だから最初は全然友達が出来ないし、コーチは怖いしでさんざんでした

唯一最上級生の先輩が面倒を見てくれるくらいでした

4年生になるとユニフォームがもらえて、1Q分だけですが試合にも参加させていただけるようになり、アンダーと呼ばれる4年生以下の試合ではスタートで出させていただけました

その当時のキャプテンはめちゃくちゃ怖かったです

5年生になると、なんと3Q分出させてもらえる、いわゆるベストメンバーになりました

ただ、このとき私より先に入っていたメンバーや親はあまり良く思わなかったので

試合に出る度に罵声が浴びせられました

今でも家にある当時のビデオを見るのはなんとなくためらわれます

ただ、私はミニバスを特別な用事以外では休んだり、練習中コートの外に出たりすることもなく

火木土、毎日決められた時間にバスケに行き、3時間近くただ練習をしていただけで、ここで続けることの大事さやきちんと取り組むときっと良いことがあるもんだと学びました

 

6年生でもベストメンバーに入り、ガードがいないから、という理由で1,2,4Qで試合に出させていただくことになりました

(前半1Q分と後半2Q分出るのがメジャー)

そして、副キャプテンにも任命されました

前年度の4年生とその前の年の怖かったキャプテンが推薦してくれたみたいです

私はあのとき、いつも怒られてばかりで自身を足手まといだと感じていたけどそうではなかったのかもしれないと思うと少し楽になりました

任されている重荷を感じたし、だからこそ一層周りから言われる声も強くなりました

 

だから、塾があってもできる限り練習を休まないようにしたし、小学校1年生からしていた空手もやめました

1つのミスが10の罵声になるようになっても、練習には行きました

そんな私がまず壊れたのは、長野遠征、正規メンバーが6人しか集まらず、試合に出るために急遽入りたての妹も遠征メンバーに選ぶ始末でした

試合は全試合フルででずっぱ、ずっとガード。スカウティングをしている相手からすれば格好のかもですよ

私がめちゃくちゃうまかったらなぁ、と何回もその遠征中に思いました

チームの中でキャプテンの次くらいには練習をしている、なのにどうして私のところでミスが起きてしまうんだろう

勝てない試合の中、選手も親もフラストレーションがたまり、罵声も強くなります

他の選手のミスも、ガードとしてチームを作れなかった私のせい

一人でご飯を食べていたとき、監督が

「あまり練習にこれていないから、俺の話は参考にならないかもしれない。けれどガードに、副キャプテンに選んだのは俺の責任だ。だから責められるべきは俺なんだ。○○はしたいプレーをして欲しい」

といってきたときは、この人のために弱音を吐くことはやめよう、と思いました

私の最初の恩師だったかもしれないです(今でも卒業の時にもらったタオルをもっている)

 

その後、地元のリーグ戦、私は中学受験をするための塾の合宿に参加するために2試合だけの参加でした

その2試合で優秀選手に選ばれるくらいに、その大会の私はうまくいってました

ただ、浴びる罵声もその分多かったです

帰り際、「チームを置いて自分の事を優先して勉強しに行くんだ、育ちが違うからね」と保護者に言われたのは覚えています

 

そこから、完全にバスケより受験を優先する私として、徹底的に無視が始まりました

練習中も話はしないくせに突然パスが来る、でも試合は通常通り臨まなくてはいけない

どうしたらいいかわからなかったです

初めて親にバスケをやめたいといったかもしれないです

そのときの答は、「中途半端なやつが一番ださい」の言葉で、弱音を吐く私に怒鳴っていた気もします

 

そんな中、引退前の大きな大会、特に何かをしたわけではないです、記憶の中では

いやな記憶は消えちゃう物なので不確かですが

決定的にバスケをやめよう、と思い親に相談をしました

そのとき、「今までわかってあげられなくてごめんね、いつでも味方だから」なんて言われた気もします、その当時の私は初めて親が慰めてくれた、と思いなんだか許された気がしていました、そこに勝手な信頼を持っていました

 

しばらくバスケを休んだほうがいい、そう言われてコーチから2週間休みをもらいました

2週間ぶりに行ったチームは私が壊れる前と変わらない、チームメイトが声をかけてくれる世界戦でした

「あ、私が待っていたのはこれだったんだな」と思いました

どれだけ試合で罵声を浴びても、チームメイトは変わらなかったです

そして1月の大会で無事に引退し、そのときに撮った写真の私はものすごく良い笑顔をしていました

 

中学は私以外未経験者だったので、ある程度割り切ってバスケをしていて

そんなに気に病むことはなかったです

「○○と私達は違うから、」とチームメイトに何度言われても事実なので傷つくことはなかったし、あれだけ苦しかったミニバス時代がそんな練習していない人たちと一緒であってはたまらないからです

 

ただそれは私の考えであって、彼女らの考えが爆発したのが高校の11月の大会でした

(中高ストレートの高校だったのでメンバーは基本かわらなかった)

その大会は確か助っ人を含む6人で挑んで、1人が前半に怪我をしたんですよ

(怪我をしたというか、怪我から復帰明けの試合だった)

(怪我したときのパスをしたのが私だった)

だから5人で後30分を試合しなくてはいけない

途中でリタイアするかどうか、が話し合われました

ただ、私としては途中で試合を放棄するなんて信じられんという感じで

そんな話も上の空、どうしてこの人たちはこの後の作戦について考えないのだろう、と全く取り合っていなかったです

前半がおわり、ハーフタイム、トイレに行きました

用を済ませて出ようとすると、戸が開かない、、、

おいおい、ここは学校ではなく公共の体育館だぞ

「ごめんね、、、」チームメイトの声がありました

こんな力出せるなら、試合できるじゃん。人の心がわからないからそんなことまで思いました

びっくりするくらい戸が開かなくて、何分トイレにいたのかわからないし

途中から全てを放棄してました

見上げた薄暗い天井から水が降ってくるのかな、なんて不毛なことを考えていました

そのあと押した戸はびっくりするくらい軽くて、本当に誰かが私を閉じ込めていたのかなんて信じられませんでした

コートに戻ると何一つ荷物がない、チームメイトもオフィシャルもいない、

相手チームが練習をしているコートがありました

たまたまいた審判に聞くと

「キャプテンが体調不良のため、棄権した」と教えられました

 

いや、キャプテンは私でこんな元気なんだが?

チームメイトがいない、私のバックだけが残った応援席に戻って服を着替えて、親の迎えを呼んで待っていると相手チームの監督さんが

「体調不良大丈夫?すごく良い選手だから試合が出来なくてもせめて練習くらいはしたかったと思う。体調管理も大事だよ」

と握手を求められたときは、その手を払おうかと思いましたが、とりあえず握手だけはしておきました

 

世の中の理不尽ってやるせなさってこんな感じなんだと思いました

空港が見える体育館だったので飛行機の離発着を見ながらぼんやり親を待ちました

「試合終わった」

「思ったより早いね」

「なんか私の体調不良で棄権なったみたい」

「そんなわけないやろ」

「トイレから帰ってきたら試合終わっていたわ」

「他の子は」

「知らん、会ってない」

親が来て、どこで会ったのか顧問の先生と言い合いをしているのが聞こえました

 

ぼんやり飛行機を見ながら

ミニバスから高校まで自分が一番辛いふりをしていたけど

本当に辛かったのは両親だったんじゃないかと思います

自身の介入できないところで我が子が傷つけられ、その傷だけを見ることができる

ビデオに入る罵声も、私から出る愚痴も、練習に行きたくないという発言も、どれだけ練習しても最善にはなれない私も

途中で投げ出すことが嫌いだったので部活は引退までは続けようとは決めていました

ただ、ここで明らかに私のバスケ人生は終わったのだと思いました

その試合の後1ヶ月くらい部活は活動停止になり、ご飯が食べれず毛が抜けました

目に見えるストレスでした

 

久しぶりの部活では、私がキャプテンを下ろされたことを伝えられました

だからといって何もないです

キャプテンになった子の親にその姿を見せられて良かった、と葬式できいても

だからといって何かというわけでもないです

 

部活でこんなことが起きても、クラスでは普通で毎日馬鹿やって過してました

こんなのは悩んだ方が損するだけなんだとそのとき感じました

 

成人式ではミニバスの時の子からミニバスメンバーで写真を撮ろうと言われ撮りました、その写真は手元にはないです

高校の時のバスケ部の子たちとは卒業旅行に行きました

 

私があのとき、この世のおわりくらい悲しんだことはこんなにもちっぽけな事だったんだと思うと

なんとなく清算できた気がして、今回記事を書きました

11月はいつも心が重たくなる気がして、心の中でお葬式をあげています

 

バスケットボールに出会って、傷も本当は感じるはずのない感情にもたくさん出会いました

でもクラブチームも含め、多くの人に出会い、時に出会う言葉に希望をもらい

続けてきて良かったと思いました

だから、間違ってもバスケットボールをさせてしまってごめんねと親には思って欲しくないのでした

 

BGM/

Desperate Angel/X JAPAN

午後のパレード/スガシカオ

あの娘ぼくがロングシュートきめたらどんな顔するんだろう/岡村靖幸

 

友達の結婚式の話

この記事は毎日おまる Advent Calendar 2020 - Adventar 5日目の記事です。 

 

寝るまでが今日だと思っている人間なので許してください、叩かないで(><)

今日はデートなるものに行ってきて、家でぐうたらしていたらバイトのヘルプに呼ばれたので行ってきました。推し(とその友達)が私の善意でやった仕事を手伝ってくれてうれしい~~~

「○○さんのおかげで残業せずにすみました、来てくださってありがとうございます」

その言葉が聞きたかったんだよ~~~~、大満足

あ、デートも楽しかったです。わんわんランドの犬は東筑ユートピアの犬より懐くし、猫より犬の方が私の正確には向いていると実感がした。

あと藤代のバイパスが好きなので、取手駅までドライブした。

昨日、友達とごはんしてそのまま楽しい気持ちで寝ていたら、朝の11時で

「明日どうしましょうか」ってきていたときは焦りました。

でもいい1日でした、感謝。

 

今回は友達の結婚式に潜入してみたレポです。

今年の2月のおわりに保育所からの友達の結婚式に行ってきました。

私は中学からは地元とは違うところに通ったので、その友達とは成人式に小学校ぶりに会い、それ以降は会っていないため、まさか声がかかるとは思っていなかったです。

まずは正装を買うところからのスタートです(成人式の2次会はチャイナ服だったのでパーティドレスがない)

絶対花嫁より目立ったり、かぶったりしちゃダメ、と思い、黒のノースリーブのドレスにしました(縁起良くないのかもしれない)

ドレスを着るのなんて七五三以来だったので内心すごくうれしかったです。

 

私は本当に親戚が少ないので、初めてで、前日にいろいろ親に聞いて、

周りをきょろきょろしながら式に臨みました。

袱紗が親のお葬式用のものしかなくって焦りました、そんな文化がある事を知らなくて

また、一生物でしょうとなぜか良いデジカメを買ってくれました

なのでめちゃくちゃ友達の写真を撮りました

 

神父さんが現れたり、親の腕を組んで歩いてきたりする良くテレビで見る結婚式と

友達の結婚式は全く違っていて、旦那さんと二人で宣誓して歩んでいく感じがとても良かったです

ブーケトスもなく、逆に私達が花びらを二人が歩く道にまいていくという感じでした。

成人式ぶりに会ったのですが、本当に綺麗で式に呼んでくれて本当に感謝しています

そのあと披露宴で、ドレスに着替えた友達がまた綺麗でお姫様みたいでした

出てくるご飯も普段は食べないようなこだわりの食材を少しずつ使ったもので

結婚式って良いなぁと思いました(フォアグラおいしかった)

 

ただ、当日欠席のお子様が出たらしく突然お子様ランチが私達小学校フレンズのテーブルに追加で運ばれてきたときは大爆笑しました

 

催し物では、友達のこれまでの写真がスライドショーで流されました

なんだか友達代表として式に参加しているのに、見たことのない中学校や高校の友達の姿を見るのは不思議な気持ちでした

 

また友達の結婚式は親御さんというよりは、会社の方がメインで挨拶をしたりすることが多く、友達が大人に見えると同時に愛されているんだと感じました

 

私の地元は、高校卒業後就職することが多く、高校も就職メイン、進学するとしても専門学校ですぐに仕事に就けるようにしているのが普通でした

そして県外にでるのも、仕事の出向くらいで、最初から県外に出ることを選ぶことは少ないです

だから、結婚式のために綺麗におめかしをした女の子が関東の大学や生活についてきてくるのは、なんだか人魚姫みたいでした

 

私は少しでも良い大学に入ることが重要だとされたところに通っていたので進学ありきで就職するようなこととは別の世界線を生きていると考えていました

でも、同じ歳で転職をしたり職場の人を式に呼んでいる友達たちを見ると

親のお金で大人からなんだかんだ守られていた温室で育っていた私と比べて

全然強く、敬うべき存在であると感じました

 

私が進んだ道を否定する気はないです

ただ、私は私の選んだ方向の中で正しい選択をしたし

彼女たちも彼女たちの選択肢の中から最善と呼ばれる道を進んでいる

 

立場や環境が違えばたどり着くゴールは自ずと違ってくるはずなのに

同じ土俵で見ようとするから自分に対して悲しい感情がわき上がってしまうのでしょうね

選択肢なんて、その一瞬では一つしか選べないのに

 

私が好きな小説の中に、「一日一善ゲーム」というものがでてきます。

名前の通り、1日1つ良いことをするのです

何でもいい、社会的に、通説的に間違っているとされても

その人が正しいと思うことをするのです

 

人生もそれと一緒です

1日1つ自分のやりたいことをするのです

1つやりたいことができたら、さらに1つやってみる

全てのことが出来るわけではないです

ただしようと思うことが大事なのです

そうした日々を1日1日積み上げて、できる限り出来なかったことを減らすのです

出来なかったことはひいては後悔に繋がります

後悔は、『後に悔しい』と書くのです

今悔しくても、それが達成されれば後悔にはなりません

その日1日今できる最大限のことをするのです

最大限のことは最善を尽くすことで有り、別に全力で完璧である必要はないのです

今寝るのが最善だと思えば、ブログなんて2の次で、今最善の寝ることをするのです

 

今日1日、今死んでもいいように生きる

その積み重ねが自分の満足する人生だと思います

別に自殺したいとかでなく、今死んでも悲しくないよう

毎日をすごす、だって人はいつ死んでしまうかわからないのだから

そして、見えないいつかを思うから不安になるのです

その日は来ないかもしれないのに

 

未来を想うことはきっと楽しいです

でもその未来も今の選択肢で変わってしまうのだから

自分の手で作っていくのは未来でも過去でもなくきっと今なんですよ

 

過去はいくらでも脚色や編集できるし、

未来はいつだって奪うことも奪われることも出来るのだから

 

BGM/

あなたは煙草 私はシャボン/ラブリーサマーちゃん

セツナ/Sunny Day Service

水星/ラブリーサマーちゃん